コーラを奢って後悔する(読了時間:5分)

郊外研修の帰りにクラスメートと町中でぶらぶらする機会がありました。

中国の子らとモロッコなどアラブの子らは人数が多く、普段は仲間と連れ立っているのであまり一緒に遊ぶ事がなかったのですが、このときの混合グループは珍しいメンツだったので、みんな何となくウキウキしているように見えました。

中央駅の地下で中国の子らが「お腹すいた」、といって唐突にピザハットのカウンターに並びました。

アラブの子たちは途端に険しい表情になり、僕もアラブの子たちと一緒に店の前で中国の子たちが注文するのを見ていました。

20年前の当時、まだ中国は経済台頭する前で、聞くとドイツに留学してくる中国の子らは富豪の子たちばかりでした。

お店に入る前に、一言「ココ入らない?」と声掛けでもあればよかったのですが、好きなように動くことに慣れているようで不意のことに唖然としてしまいました。

しかしアラブの子らは、僕とは違う理由で緊張感を持ったようでした。

中国の子らはピザとドリンクを持ってスタンドで食べ始めました。僕は気まずい空気を何とかしようと、「ちょっと待ってて」とアラブの子たちに言ってカウンターに行き、僕とアラブの子ら4人のコーラを頼みました。

中国の子らの横のスタンドにそれを置いて、アラブの子らに「どうぞ」と言って呼びました。

喜ぶかと思ったのですが彼らは「なんてことするんだ!」とつぶやきました。

でも、僕の気持ちも察したのか、肩を落として僕のところに加わり、「ありがとう」と言いました。

僕はまずい気持ちになりましたが、どこがまずかったのかいまいち分かりませんでした。

豚肉がダメでピザはリスクがあるのは分かっていたので、あえてコーラだけにしてうまくやったつもりだったのに…。

テーブルで、ある子が言いました。

「このコーラは400円もする。これはモロッコの漁師の日給くらいだよ。君がそれをあっさりいくつも買った。僕らにとっては贅沢すぎてもったいない気持ちとくやしい気持ちになる」

「僕らも本国ではかなり裕福な方で、そうでないとドイツに留学なんてできない。モロッコでは子供をヨーロッパに留学させて仕送りさせると、生活がとても楽になるので何とかこちらに留まれるように勉強するんだ。贅沢はできない」

「でも本当は君がしたことに感動している。今度僕らの集まりで食事をごちそうしたいから、ぜひおいでよ」

他の子らもうなずいて、僕はイスラムの食事会の集まりに行く約束をしました。

ドイツでイスラム信者の居住者は多くあちこちにムスクやケバップ屋、アラブ系の食料品店があります。

何となく、イスラマーの店っぽい雰囲気からそうでないと入ってはいけないように思えて入ったことがなかったのですが、クラスメートに連れられひとつのケバップ屋に入りました。

イスラムの生徒たちにコーラを奢ったことがきっかけで、彼らの食事会に誘われたのです。

食事会はとある学生寮の一部屋で行われるとのことでしたが、その前に食品を調達しに行くから、とそのケバップ屋に寄ったのです。

青いタイルのきれいな内装のケバップ屋です。

ケバップとはアラブのサンドイッチで、1mくらいの棒に鶏肉や牛肉を重ねて刺したシンボリックな肉塊が店頭にあります。

回りながら焼かれているそれをこそいで、ピタパンに野菜と一緒にモリモリに挟んで食べます。

ボリュームがあるのに300円くらいなので、友人とよくスタンドで買って歩きながら食べました。

クラスメート達は「サラーム」と言ってその店の店主に挨拶すると彼は「おう」と顎を振り、クラスメートらは裏口から食料品を次々運び始めました。

店主が家族?そう思いましたがやりとりではどうもそうではないようで、これは彼らの間で日常的な事みたいです。

一人ずつ食料品を詰めたダンボールを持って「サラーム」と言って店を出て、学生寮に向かいました。

部屋に入ると沢山の20歳前後のアラブ系の男の子たちがいて、「よく来たね!」と歓待してくれました。

10人はいると思いますが、別の部屋にもいて次々に出入りするので誰が誰だかもう分かりません。テーブルに食料品を置き、僕に飲み物とスナックを勧めてくれます。

どうも僕がピザハットでコーラを奢った話は周りに伝わっているようで、とてもよくしてくれます。日本の事を尋ねられ、特にアニメや武道に興味があるとのことです。

みんなドラゴンボールや北斗の拳が大好き。ポケモンやドラえもんのこともちょっと出てきましたが、男の子たちばかりなので格闘モノ、それとなんと言ってもキャプテン翼の人気がすごいようです。

モロッコではサッカーがとにかく人気で、日中は暑すぎてできたものではないので、夜になると子どもたちはサッカーをしに外に出てくるとの事です。

あと空手と柔道が盛んなようで、僕に後ろ回し蹴り、上段構え、など知っている事を言ってきます。これらはもと植民地のフランスの影響のようです。

習っていた子が空手の型を披露し始めました。彼らは押しなべて体つきがよく、細身でもがっしりとしているので迫力があります。

僕は思いついて、お返しのようにブルース・リーの真似事をしてみました。以前、ドラムをやっていた友人とからだを素早く動かすコツを得ようと、ブルース・リーのマネをしていたことがあったのです。

「はやい!」「柔らかくて鋭い!」と予想外にも大受けし、「どうやってる?」と質問攻めになりました。

楽しく過ごして夜もすっかり遅くなり帰りとなりましたが、「また来いよ!」とすっかり受け入れられた様子で、にぎやかなアパートを出ると寒空に一人で中央駅に向かいました。

後日色々分かってきたのですが、イスラマーは自分たちのコミュニティをつくり、お互い助け合って暮らしているのです。

ケバップ屋で食料品を大量に持ち去られてもケバップ屋は平然としていました。おそらく仕入れなど自分の手持ちでしているわけではなく、イスラムのコミュニティからの供給なのでしょう。

店に出入りしているアラブ系の人で払わなかったりする人がいるのも後々目撃していますから、その店の店主はコミュニティの食堂担当、といった感じなのでしょうか。

あと、部屋にいた若者の多くは住居不定で、一人が寮を借りれると家賃を浮かそうと入れるだけ入ってきてしまいます。

ドイツ人には露骨にアラブ系を嫌う人もいるのですが、理由を聞くと「経済バランスが狂うから出ていってほしい」と言います。

人種差別には反対でも嫌うのはそれなりに理由もあるようで、その原因の彼らのコミュニティ運営も、マイノリティへの厳しい仕組みに対する生きる知恵なのだと思います。僕が知ったのは一部で、もっと大胆なこともしているのでしょう。

日本は?日本人は?

僕はこのドイツ滞在後帰国し、日本人が基本的に差別体質なのをとても感じるようになったのですが、以前は全然気付かないこともそう察するようになりました。

僕には、多くの日本人は生活レベルで自分と違うものに対し徹底して不寛容に見えるのですが、格好と表現は多様化し差別反対と声高に憤っていたりしてその気付かなさゆえのギャップは結構なものです。

おそらくこの普通に根づいている差別意識は、一旦日本から離れないと気付くのが難しいと思います。

でも人にツッコミを入れるのは簡単、まず自分の表現に注意しようと思っているのですが、僕も気付いていないところがあるのだといつも念頭に置いています。

学生寮は二人一組で、キッチン・ダイニング、風呂・トイレは共有スペースです。僕はドイツ語学校に入学してしばらくルームメイトがいなかったので、一人気ままに共有部を使っていました。

ある日、寮長に「君のところにルームメイトが入るからね」と言われ、気楽な生活が終わるのでがっかり、しかしどんな子が来るのだろうという興味の入り混じった気持ちで、その日を迎えました。

「こんにちは!タリクといいます。よろしく」

と入ってきたのはイスラム系の背の低い真面目そうな男の子。

謙虚で品のよい感じに僕はすっかり安心して、料理するにも譲り合いながらで生活は気楽さを失われずにありがたく思っていました。

タリクはヨルダンから来たシステム・エンジニア志望の留学生。日本にもクラスに一人はいそうな、損なくらい実直なキャラで、時折ダイニングでお国の事を話し合いながら過ごし、すっかり親近感が湧く間柄になりました。

ところが…。

あれ?いつの間にか牛乳が減っていて、そんなに使ってたかな?と思うとシャンプーも、あれ?おかしいな、こんなに減っている…。

気付いたときには、あらゆるものが早く消費されていっている!

こっそりボトルにラインを引いておいて減り方を見ると、間違いありません。

さてどうしよう。

あんなに真面目そうなタリクが、分からないわけがないくらい僕の物を使って、普段は平気な顔をしている…。

僕はあまり変化球を投げられないタチなので、思い切って聞いてみました。

「あの、タリク。僕のもの使っているよね?」

「何が?」

「食べ物やシャンプーなんか消耗品。何か困っているんだったら分けられるものは分けるから、使うときは言ってよ」

「どれがオマエのものだって?」

??

僕が冷蔵庫を開けて見せようと手を伸ばした時、がっしりと腕を掴まれました。

その手の掴む力の強さにぎょっとして、相手の顔を見ると怒りで硬直しています。

しかし、僕もここで引き下がるわけにもいかず相手の顔をじっと見ました。

しばらくお互いに沈黙していましたが、向こうが手を離して自室に向かい扉を閉めてしまいました。

一旦その場は終わってほっとしましたが、未消化のままお互いに会わないような生活になってしまいました。

彼の怒り方は、僕が侮辱を与えたような感じでした。

僕は僕でフェアな行動を取ったつもりだし、彼の怒りは理不尽なものだとしか思えません。

イスラムの生徒たちが消耗品をシェアし合いながら共同生活していることは知っていました。

彼らの基本スタンスは、持っている者からは遠慮なくもらってもよい、なのかな?そう推測しました。

1週間ほど経って、タリクがいるところを掴まえ、僕は日本人であっても余裕があるほど持っている者ではなく、切り詰めてドイツに滞在しているから何でも分け与えられるというわけではない、必要だったら使ってもいいか聞いてくれ、と言いました。

すると、タリクは悪かった、もうしない、と言い、その場で緊張を解くことができました。そしてその後は何もありませんでした。

ずっと後になって他の日本人留学生と話した時、

「そう、俺のイスラムのルームメイトも、おはようとか言いながら冷蔵庫からおもむろに俺の水ゴクゴク飲むんだよ、ラッパで。それで平然と面と向かって話してんだから、もう注意する気も起こらない」

どうも常識の感覚が随分違うのですっかり頭を切り替えるしかないな、と当時は思いました。似たような経験をしている日本人が他にいる事だし、そんなものかと。

しかし同時に、日本人は世界でも稀に見るくらい、明らかに裕福で安全で恵まれた社会で生まれ育ち、その割に絶えず節約志向で分け与えることに消極的であるとも思えてきました。

自分だって振り返ってみるとそういう傾向が強く、彼らの感覚と比べると何かと発想がケチ臭いように思うのです。

お金や時間、権利、分配、責任、これらに対する日本人のスタンスはある意味「セコい」の一言。おおらかさにかけ、柔軟な思考を持てない。

そしてルールを犯す相手には責める権利を遺憾なく発揮できるのを念頭に、抑制し合ってそこそこ安定した関係を保てている。

これが日本文化では「気遣い」や「思いやり」という名前があって、私達にはそれが美しかったり責務だったり当然だったりするのですが、別の文化ではそうとは限らないのかもしれない。

タリクには僕の態度は怒りを感じるほど納得いかなかったものだったし、個人の事情が分かれば配慮できるとしても、やはりケチくさい人として非常識なルームメイトだったのでしょう。

イスラムの人だからか、アラブの文化だからか結局分かりませんでしたが、タリクは僕の不寛容さに不当さを感じていたように思います。

不寛容さ、これは日本文化の性質の一つで、自分が知らないうちに持つ性質。

これはトゲのように深く刺さり、事あるごとに僕に考えさせる事になりました。

ライプツィヒ大学の南側に元監獄を改修したお店「モーリッツ・バスタイ」があります。

クラブといっても昼からオープンし、地階にも吹き抜けのテラスがあって学生がたむろし、おしゃべりしたりゆっくりと読書をしていたりします。

バスタイは要塞の意味で、大学周辺の石畳一体は古代の町の要塞の名残です。

70年代に学生らによって発掘され、基金を設立して大学公認のクラブとして運営されるという面白い経緯を持つお店。

岩肌と補強レンガで囲まれたアリの巣のような複雜な構造で、スペースごとにイベントをしています。

一番大きなホールは100人収容くらいのライブハウスになっていて、ポップス・ジャズ・クラシックからモダンダンスなどのパフォーマンスが見られます。

ワイマールと同じでディプロマ(卒業)コンサートに使われる事が多く、その場合はフリー・ライブなので手にビールやコーヒーを持ってぶらぶらしながら音楽を聞いたり他の学生としゃべりに行ったり来たりします。

(少し後、2005年頃京都のアンデパンダンというアンダーグラウンドなライブハウスによく行きましたが、そこととてもよく似ていました)

モーリッツ・バスタイのざらついたアングラ感が気に入ってしょっちゅう行っていましたが、ある時イスラムの生徒とアジア人二人でビリヤードの勝負になりました。

僕はビリヤードなどしたことがほとんどなく、アラブの豪遊生活でビリヤードに慣れたハイタンとハサンが圧勝しました。

僕と組んだ中国人のファンも富裕層の息子で遊び慣れているのですが、僕と組むとなるとどうしようもない。

ファンは男前で周りに中国人の女の子を沢山連れていて、その子らが僕にもエールを送ってくれるのは嬉しいものでした。

勝負が終わるとファンは一緒に飲もうと言ってテーブルに着き、彼の中国での生活の話になり僕にフィアンセだと写真を見せてくれました。

どう見てもモデル!

その通りで彼は中国のモデルでタレントと付き合っており、恋しくて毎晩電話しているとのこと。

どうしてドイツに来たのかというと、案の定兵役をパスする手段として親から送り込まれたとのことです。

中国では選抜徴兵制度と志願兵制の混合で、年々志願兵の割合を増やし貧困層で兵数を確保する傾向が強まっているのですが、選抜はいわゆるくじ引きで誰

もが当たることは当たるもので、ファンのような富裕層は海外留学で免除といった手を使う事ができるのです。

ファンは上海出身で日本は好きだそうで、本国でも日本を嫌悪しているのは年齢層の高い頑固な世代だから、中国と日本の若者は仲良くしたほうがいいと言います。

日本が好きな理由はドラゴンボールが大好きだから。あらゆるアニメを知っています。僕より知っている。

漫画やアニメは海外でとにかく人気があり、初対面で僕が日本人だと言うとどの国の人も必ずアニメの話をします。

アニメは世界平和の一端を担っている?

そうかもしれない。サッカーとアニメ、この2つで国際問題の半分は沈静化されているかもしれないくらい影響力があります。

ファンもサッカーは好きで、ライプツィヒにも中国人のサッカークラブがあり、そちらに加わっているとの事。

日本人のサッカークラブはあるのかな?野球のほうがありそうですが(後にフランクフルトやデュッセルドルフでは実際にある事を知った)、普段から日本

人が集うほどこの町にいるわけでもなさそうだし…。

来年まであと2ヶ月、2002年日韓ワールドカップ、ドイツ人のサッカー愛!ナカタはみんな知っています。

僕は史上初の日本でのワールドカップの年を、熱狂のドイツで過ごすことになるのです。