
大橋しん
太極拳も他のパフォーマンス同様ストーリーが大切
昨日の夜は荒井先生、僕の太極拳の先生とのレッスンでした。
僕は自分の教室で指導していますが、レッスンも受け続けています。
この先、どちらかが太極拳をやめるまで関係は続くと思います。
どちらも一生やめなかったら一生関係は続くような気がします。
さて、荒井先生は楊式で世界一を取っていますが、孫式、武式、呉式、陳式もすべて総本山を回って勉強してきています。
僕と同い年なのに、どうしてそんな事が経験できるかというと、北京大学の武術科に10年間出入りしていたからです。
どれも面白いところがあって、何が一番好きとかはないそうです。
どれが優れているか、劣っているかとか感じることもないそうです。
また、同じ流派でも指導者によって違うので、詰まるところ太極拳は自分を見つめていくだけで、まず自分の先人に敬意を払わないとそれはできないものだと言います。
どのスタイルでも、オリジナルに落ち着いても、伝統教義に乗っ取らなくてもよい。
それぞれに価値があり、美しさがあり、命を感じる。
ただしその表現には然るべき理由がないと、ストーリーを感じられないと心は動かされない。
支離滅裂は困惑するだけだし、上手にうわべをコピーしたとしても、その背景、ストーリーにふさわしい表現であるかどうかで「魅入ってしまう」か、「借り物」を我慢して見させられるのか、眠たくなるのか、分かれるとの事です。
僕がオリジナルを作っていることを先生は知っていて、それには口出しをしたりしてはこないのですが、「見ていて眠くならない」かどうかが肝心だね、と言われます。
ストーリーあれ、と。
ストーリーがないのに語られ続けるのは、おしゃべりであり、一方的に続けられると相手には苦痛なのです。
物事と向き合ってこそ語られるものが出てくる。
平家物語のように伝承でもいいし、オリジナルでもいい。
それを聞いて面白いと思う他人がいてこそ、ストーリー。
相手が眠くなるなら、そこにはストーリーがないのかもしれません。