• 大橋しん

アレクサンダー・レッスンで確実に手に入れられるものはレディネスの上達

2020年の今、アレクサンダー・テクニークのレッスンに来られる方は、何か望みや目的があって僕のところに来ます。


その望みや目的がはっきりしないで問い合わせをされる方もおられます。漠然と、ただ気になる、何となく自分の興味や問題と関係があるような気がする、そう言われます。


20年前の僕も目的ははっきりしていませんでした。短期間に3人がアレクサンダー・テクニークと言ったので、気になって、そこからです。


それが何か分かっててコミットしたわけではなかったので、レッスン料は対価ではなかった。


チェロのレッスン料を削って、アレクサンダー・レッスンに投資したという事実だけが残っています。


その時は、そうすることが必要だと思ってそうしました。


楽器を毎日何時間も弾いている時、楽しくてそうしている感覚は薄れていき、不安に突き動かされていました。


そうしないと、何かに遅れを取るとか、間に合わないとか、どこかから弾かれるとかいった焦燥感の中にいたような気がします。


ただ、振り返ってみるとそう思うだけで、その時は目の前のことに熱心なだけで自分では分かりません。


僕がどうであれ、世界の誰もそんなことは大して気にも留めないのですが、僕はとにかくどう評価されるかが気になってそうしていました。


好きなことをしていただけなのに、どこからそうすり替わったのか。自分の興味が、他人の評価になってしまっていた…好きなことをしていただけだったつもりなのに。



昔、ニキビを気に病んで自殺した高校生が報道されたことがあります。その頃は、バカじゃないか、死ぬことじゃあるまいに、と思いました。


誰にとっても気に留めないことでも、世界のすべてと関わりがあるように思える、そう人が陥る事って結構あって、後に理学療法士になったときにうつ傾向の人たちを沢山担当するようになり、よくその事を思い出します。


僕はニキビで病んでいたように、自殺まではしなかったのですが、チェロを弾くことに固執して身体を奴隷のように扱っていた。方向性は似たようなものです。


だから自分でそうだったと思える今、あらゆる人の悩みと一緒にいられるのだと思います。


その悩みが虐待であろうが高血圧であろうが。



どの悩みも大したことないと言いたいわけではなく、そこから別のところに移る選択肢がもたらされると、世界がひっくり返るように救われる可能性がある、と言いたいのです。


ドイツの生活のことを日々書いてきていますが、アレクサンダー・テクニークに関係あることも無いことも今の自分をつくっていて、些細なことも自分の信念の本流に流れ込んでいます。



現在、自分の身辺がひっくり返って怒涛の変化の中にいて、手がかりがない状態で自分のバランスを取らなくてはならないのですが、そうしていると正しさに固執することも他人からよく評価されるかも、そんなに大切ではない事が分かります。


僕にとってアレクサンダー・テクニークも些細なことで、元々惹かれてきた無形のなにかが自分の中にあって、色々な表現がそれを代弁しているに過ぎない。


夢や希望が実現される目標って、元々まぼろしなんでしょう。それが分かっていても明日は来る。


アレクサンダー・テクニークのレッスンの意義って、まぼろしのようにはかないところがあるんですが、それでも明日の準備には役立つものなんです。


せめて自分の身体を奴隷のように扱わない、それだけは確実に進展します。


そして明日は何が起こるか分からない。それも確実なことです。


確実に起こることに確実にできること。


アレクサンダー・テクニークは、レディネス(いつでもどう反応するか準備できている)が上手になり、それで身体に負担を与えなくなる、そんな学習だとも言えるのです。


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