
大橋しん
町になれ楽しみ、油断する
更新日:2020年8月25日
ライプツィヒの町に慣れてくると、だいたいのCDショップが分かってきて入り浸るようになりました。
今でこそ音楽はYoutubeでもストリーミング・サービスでもネット上になんでもありますが、音源は足で探さないと聴けない時代でした。世の中変わるものですね。
ドイツのCD屋は基本全て試聴できるので、僕はありったけの機会に聴きに行っていました。
ノラ・ジョーンズもジャック・ジョンソンも僕がドイツにいた時期に出てきて、
おお、アメリカの音楽が蘇るんじゃない?!
と思っていたらその後盛り上がりましたね〜。90年代はパッとしなかったから。
セールも頻繁にやっていてジョシュア・レッドマンのビヨンドもドイツのセールで買ってからずっと愛聴盤のひとつです。傷があるけど。
試聴できるから売り物のCDにキズがあったりします。でも皆さんあまり気にしていない様子。
そういえばスーパーの中で会計前に食べている人とかもいたり、日本人とドイツ人が真面目で似ていると言っても日本人の方が神経質なところはあってやはり違いはあります。
よく行ったお店といえばアジア雑貨の食料品。キッコーマンの醤油やサッポロ一番が置いてあるのです。
ラベルを見るとこれらは大体オランダから来ています。昔から日本と交易があったから?長崎でカステラが作られているように、オランダでも日本のものが作られるようになったのでしょうか。
いろんな国のインスタント・ラーメンがあって、それを試すのが楽しくてよく通いました。
そして学生カフェにもよく行きました。コーヒーも紅茶も1マルク60円、大きなソファやライティング・デスクをずっと使っていられます。
勉強している子もいれば騒いでいる子達もいて、枕投げができるスターバックスという感じ。
よくアンヤと待ち合わせたり、サーシャ、バブアーと連れ立ってダラダラしていました。
期末テスト前になると一緒に勉強しに行ったりしましたが、バブアーが全然やる気がなくてしょっちゅうちょっかいをかけてくるし、はかどらなかったけど、それはそれで楽しいからいいか、という感じで過ごしました。
サーシャも僕も音楽が好きで、よく手持ちのCDを交換していました。僕もサーシャもポータブルCDプレーヤーを持っていました。
サーシャのプレーヤーはしょっちゅう調子が悪くなるので、こすったり磨いたり叩いたりいていました。
僕のソニー製はそんなことはなかったので、やはり日本製はクオリティが高いんだな、と思った憶えがあります。
町の生活にも慣れ、中央駅の横のサーシャのいるアパートから12時20分の終電で帰ったりするようになりました。
危ないことなんか起こらないのでついつい油断していましたが、ある終電で思い知ることになりました。
一人でいるときに、ネオナチに囲まれてしまったのです。