- 大橋しん
シャイな女の子の妄想の落書き
最終更新: 2020年8月25日
モルドヴァという国をご存知ですか?
ヨーロッパ最貧国。
東ヨーロッパ、ルーマニアの東、ウクライナの手前にある小さな国です。
ドイツ語学校、僕の片方の隣はモルドヴァから来た女の子でした。
ジュリエット・ビノシュに似てるきれいな子だけど、口の上にうっすら産毛があってそれが濃いので、口ひげがあるように見えていました。
初対面でモルドヴァから来た、と言われ、全然その国のことを知らなかったので帰って調べました。
旧ソヴィエトで最貧地域。
ソヴィエト解体後ロシアに再侵入されている。
その子はオルガといってとてもシャイ。英語も殆どできないので他の人と全然喋りません。
隣の僕に慣れてくると、次第に僕になついてくるというか、えらく気に入られたようでベタベタするというかアベックっぽいそぶりをするので、
「おいシン、オルガいけるんちゃう?」
と僕のもう片方のシリア人ネジャッドが言ってきたりしました。
はは、違う。
彼女は身の上のことを僕にポツポツ話していて、他の生徒には内緒だと言ってかわいい男の子の写真を見せてくれたことがあるのです。
5歳くらい。金髪でネクタイとジャケット、笑顔。七五三みたいな記念写真。
オルガは27歳で、結婚していて本国に子供がいるのです。
子供をモルドヴァに置いてきているらしい。なぜかは分かりません。
何か理由があってオルガだけドイツに行かされているらしい。
彼女もバブアー同様自分の意志でドイツに来ているわけではなく、ドイツ語の勉強もやる気がなさそうです。
授業中、しょっちゅう僕の教科書に落書きをして気を引いたりしてきます。
その落書きは殆ど下ネタ。
なんでそんなのばっかり描くの?て聞くと、
「私が学校に行ってた頃、世の中にエロティックな情報は一切なかったし、テレビ女優もブラウスの一番上までボタンがきちっと留められているくらい、性的な描写が規制されていたの」
「でもセックスってものがあるって子どもたちの噂になるから、親に聞くんだけど、大人はそのことを子供が口にすると激怒するから聞けないの」
「だからみんなそれがどんなものか想像して教科書に落書きするの。私の教科書も友達のも、教科書はその類の落書きでいっぱいよ。」
「16歳でソヴィエトが崩壊して西洋文化が入ってきて、初めてメイク・ラブのシーンを見た。想像し続けたものとは全然違ったわ」
「そんなわけで、教科書はメイク・ラブの想像で埋め尽くすべきモノなのよ。」
僕はある時自分のチェロの演奏を録音して彼女に聴かせたことがあります。
彼女は2分ほどじっと耳を澄ませて聴き、イヤホンをおもむろに返し、真顔で
「バッハはもっとやさしく弾いて」
とだけ言ってそっぽを向いてしまいました。