- 大橋しん
アレクサンダー・テクニーク最初のレッスン
最終更新: 2020年8月25日
教会の裏手のアパートにある幼稚園の一室でヘルムート・レーンシュー先生は僕を迎えてくれました。
40歳くらいの柔和な先生でピアノを弾くといったお話から始まりました。
この時点でドイツ語が全然喋れない僕は、間違っていても多少通じる英語で話しました。
僕が何をしに来たのか、どこで何をやっているのか、どうなりたいのかを尋ねました。
僕はそれに対してうまく答えられませんでした。
表面的には答えたのですが、自分で言っていることが他人のことに思えました。
そういえば、そんな問いかけを自分でしたことがないな…。
楽器がうまくなりたいとか、魅力的な演奏ができるようになりたいとか、なぜそうしたいのか、簡単に答えられるけど、表面的でその先がない。
…?
何にこだわっていたのか?何を求めていたのか?
日本語でないと、問いかけがストレートにきます。
ふと足が止まったというか…そもそも、何がしたかったんだろう…。
日本でチェロ担いで先生の後を追って、ドイツに二度も来て…。
アレクサンダー・テクニークに引っかかったのはどうしてだろう。
なぜ3人もの人たちが同時期にアレクサンダー・テクニークの名前を挙げたんだろう。
先生に、用意されていたマッサージベッドに寝転ぶように言われ寝転ぶと、頭と首にそっと手を触れて
「君に何が起こっているか一緒に見てみよう」
と、テーブル・ワーク(寝転んでいる人に働きかける)を始めました。
首の奥底にある緊張が緩むたびに「そうそう」と言われ、その緩みが首だけではなく全身に関わっているのが直感的に分かります。
身体がほどけてくると、それまで三編みのようにぎゅっと固めていたことに気づきます。
ここでぎゅっと固めていたことに気づかなかったら、一生知らないまま?
起き上がるとできたてのパンのようにフンワリとした身体になっています。
「何だこれは?」
こんなに身体が心地よい体験をした憶えがない。
いや、でもこれは遠い記憶にある体験と似ている…。
小さかった頃、母親に抱かれたり、マフラーをかけてもらったり、収まりのよいやわらかいものに包まれたり…。
「何かわからないけれど、これはきっといいことに違いない」
レッスンの後半は、座って身体を傾けたり起こしたり、これもこの時点ではよく分からない取り組みでしたが、とにかく普通では考えられないくらい身体が軽く動きます。
身体が心地よいものには否定する要素がない、正体が不明であろうと何であろうと。
その日の終わりに隔週でレッスンを受ける事を先生と決めて、寮に帰りました。
部屋につくとゴロンと床に寝転んで、今日のフンワリした身体が自分で再現できないものか試しながら、いつまでも天井を見ているのでした。