- 大橋しん
ものさしは違うのが当たり前であることに気付く
最終更新: 2020年8月25日
日本での生活でモヤモヤしていた僕の気持ちは、なぜかドイツでの孤独な生活で一気に晴れるという、よく分からない現象が起きました。
まず、誰も構おうとしないこと。強制的に加わらなければならないコミュニティがないという状況は、非常に開放的でした。
そして、向こうの言っていることがすぐに分からないことと、自分が最低限の表現しかしなくても生活できてしまうこと。
僕は明らかに「言葉」に左右されて生きてきたのだということを発見しました。
こういったことは、自分がそこに身を置かないと分からないことだと思うので、今どきの子らが、
「海外へ行くことに興味がない」
と自身満々に言うのは実に惜しいな〜、と思っています。まあ人のことはいいか。
話は変わって、ドイツの物価は日本の半分ほどでした。
スーパーへ行って買い込んでも2000円くらいで1週間暮らせます。
家賃は1万8千円、食費1万円、バスは2000円くらいでひと月地域内フリー。
生活費は一ヶ月3万円。
あれ?神戸に住んでいたら家賃6万円、食費2万円、電車代は1万円、あと光熱費や通信費もろもろ…えーっと…。
何してるんだろ?日本で何してたんだろ?
ドイツで好きなだけモラトリアムできるんじゃない?
という考えが膨らみ、どうしたらこの生活が維持できるかを打算し始めたのでした。