• 大橋しん

最初にアレクサンダー・テクニークと聞いたとき(1)

更新日:2020年8月25日

ドイツで最初に住んだのはワイマールという小都市でした。


ワイマールって聞いたことありますか?大体はワイマール憲法を思い浮かべるのではないでしょうか?


僕もそうでした。そんな所に行くことになったのは、22歳のとき付き人をやっていたチェロの先生から


「君、退屈そうだよ。ものすごく上手い先生紹介してあげるからドイツ行ってきなよ」


と言われ、


「では行ってきます!」


あっさり決めたからです。


当時、僕は「日本はダサい。日本人はもっとダサい。日本は世界の田舎


と思っていました(今はそうではありません)。


海外ならどこでも行きたかったので、すぐに飛びつきました。


さあ、チェロケースの隙間に衣服を詰め込んで、あっさり出発!


今思うと、むこうの生活はどうなるとか、お金は足りるのかとか、どんなところだとか、何も調べずよくそんな事したかと思います。


でも、その時は急展開にワクワクしかなくて、何も考えずに移り住みました。


しかし、先生はあまりに軽率な僕にと、現地での世話人を案じたのです。


その世話人が、当時ワイマール州立歌劇場でソプラノ歌手のレギュラーであった、木村ノリコさんでした。


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アレクサンダー・テクニークの教師になるトレーニングには幾つかの重要課題があります。 そのうちの一つに「リーディング・フォローイング」というのがあります。 指導するとき、リードすることとついて行くことを同時にやる。 また、僕の師匠ブルース・ファートマンは理想の教育者のスタンスを、 「後ろから、囁き声で勇気づける」ように、 と、著書で言い表しています。 生徒の前から引っ張って先導するでもなし、後ろから