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  • 執筆者の写真大橋しん

スッキリするために学ぶ?



ちょっとした違いってのは



気になり始めるとすごく気になる



全然違うのより気になる



ちょっとの差というのを



脳みそがクローズアップしているわけで



明確な違いを発見しているだけのうちは



大した学びにならない



(それは喜ばしいので学んでいる気になる!)




明確に違いを用意されたノウハウのような情報ではなく



先生の示した一見違いの分からない中で気付いた違和感にこそ



耳を澄まし何が聴こえてくるのか



じっと見つめて何が見え出すのか



待つのが学びには必要なんだ



(待った上で確証がなくモヤモヤするから自分で試す事になる!)


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ふと自分のやっている事に 疑問を持ったら それは周りからどう見られているかを 気にしただけなので そういうものは度々 頭をよぎるものだと スルーして何も問題はない 始めるときに決意したなら 大丈夫。自信を持って

分かる分からないより真実に近いのは 分かる事がない それがこの世界 分かっているフリが 一番恥ずかしいのがこのためだし 分からないと伝えるのが 何も意味がないのもこのためだ 分かると言いたくなった時は 相手には何も言わずに耳を傾け Spaceを差し出そう 分からないと言いたくなったときは その言葉の代わりの 分かる事がないSpaceにふさわしい 余白を味わおう

人の心を無闇に覗いてはいけない 善意であっても 相手の領域は相手が管理するものだ だから覗きたくなる代わりに 自分の呼吸を見つめ 体の声を聴くんだ そうするとまずあなたが傷つくことはない そして助かる術を得たあとに 人が助けを求めている事に気付き できる事をしてあげられる

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