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  • 執筆者の写真大橋しん

もともと間違いなんかなかったはず


小さな子はひらがなをどれだけ間違えても



間違ってるよ、と指摘する大人の方がオカシイ



と思うくらい



自分のした事に間違いを感じていない



当然他人が間違っていることなど何一つ気にならない





大人になったら他人の間違いがやたらと気になる



自分だって間違っているのではないかと気になる



自分の選んだ事が間違っているのではという済んだことまでわざわざ気になる



それを見て子供は、それが何か意味があるのかと思って



世の中に間違ったものがあることを学習しながら大人になっていく




中身と関係がなく



それは、もともと中身の存在しない「フリ」



空っぽで、この世にないもの



ないものをあるように見せることが大人だと学習してしまう




さて、やり直せるか?



空っぽの虚勢がいらなかったあの頃



あなたは今日、間違いが存在しないという現実を生きられるだろうか?




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分かる分からないより真実に近いのは 分かる事がない それがこの世界 分かっているフリが 一番恥ずかしいのがこのためだし 分からないと伝えるのが 何も意味がないのもこのためだ 分かると言いたくなった時は 相手には何も言わずに耳を傾け Spaceを差し出そう 分からないと言いたくなったときは その言葉の代わりの 分かる事がないSpaceにふさわしい 余白を味わおう

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